格安大学 2011 10 30
格安航空会社があるから、
大学も「格安大学」を作るべきです。
(年間の授業料が1000ドルから2000ドルぐらいの大学です)
こうした大学の設立に、
シリコンバレーは協力すべきでしょう。
若者が経済的な理由で大学進学をあきらめるのは、
社会にとって、損失です。
10月30日の日本経済新聞Web版には、このような記事がありました。
「アメリカの大学で学費高騰、揺らぐ若者の学歴信仰」
学費が物価を上回るペースで急騰する一方、
高失業率が長引き卒業後の就職難も深刻なためだ。
人種問題が根深い米国では、
客観指標として学歴を重視する傾向が強い。
学費高騰の背景にあるのが、大学の財政事情の悪化だ。
教職員への福利厚生費など人件費の膨張が止まらない。
勢い、安定収入を見込める授業料への依存度が高まっている。
(以上、引用)
そのほかの原因として、投資の失敗もあるでしょう。
実は、大学も、資産運用で投資をしているのです。
こうした投資の失敗は、日本の大学でも、ニュースとなりました。
庶民は、「経済学部があるのに、何事か」と驚いたことでしょうが、
一般的に言って、大学の経済学部の授業は、「時代遅れ」が定番です。
そういうわけで、最新の金融技術にはついていけません。
ましてや最近の金融商品は、高度な金融工学で設計されていますので、
大学の教授でも理解不能でしょう。
にもかかわらず、ウォール街にあった、
怪しげな金融商品製造工場で製造された、
金融商品に手を出した結果、投資の失敗となったのです。
話がそれましたが、
昔は、飛行機で旅行というと、金持ちの特権でしたが、
今は、格安航空会社の出現によって、
庶民でも気楽に飛行機で旅行ができるようになりました。
同じ理屈で、授業料が高額な大学は、金持ち専用として、
庶民のために、格安大学を設立すべきでしょう。
私が子供の頃、私よりも優秀だったのに、
経済的な理由で大学進学をあきらめた人が多かったのです。
これは、社会にとって、大きな損失でした。
貧困の中で消えていった才能たち。
カラス 2009 9 5
私の子供時代は、まだ戦後復興の気配が残る時代で、
都市部はともかく、地方の農村部は貧しかったのです。
だから、「おやつ」という贅沢なものはなかったのです。
しかし、成長期だった私には、昼食と夕食の間が、あまりにも長かったのです。
自然の恵みが、私の空腹を満たした。
どこの家でも、庭に果樹があり、初夏には桃、盛夏には梨、秋には柿と、
空腹を満たす食料には不足がなかったのです。
しかし、冬が近づくと、果樹は冬支度を始める。
「俺たちは、カラスと同じだね」と、友達がつぶやく。
そのとき、果樹の仲間たちの思いは強いものとなっていく。
僕は学問で身を立てる。
俺は有名なスポーツ選手になる。
手に職をつけて立派な職人になる。
「どうして、うちは、お金がないのか」と祖父に聞いたことがあります。
祖父は言う。
「我が家は、数百年続く家系だ。
江戸時代には、幕府の旗本や御家人だった。
広大な農地があり、寺院を寄進するほどだった」
子供の私は思う。
「江戸幕府は、明治維新で敗れ、日本は、太平洋戦争で敗れ、
つまり、我が家は、没落貴族だったのか」
今にして思えば、私は、祖父に、つらいことを聞いてしまったかもしれません。